Prologue-1-


今日、この国の王が50を迎えた。
王の生誕日というものは本来国を挙げて祝われるものであるが、この国は絶望に満ち溢れていた。
跡を継ぐべき者がいないのである。
国を統べるものの不在は、遅かれ早かれ国の傾きを意味し、その不安はいまやこの国全土を覆っていた。

今後この国はどうなるのか、生誕式典のためにあつまった国民は不安そうな眼差しでバルコニーを見つめていた。
城が決定を下せば、跡継ぎとなるべき者を呼び出し、私たちの前に姿を現してくれるはず。
しかしそうでなければ、私たちはどうなるのだろう。
そんな思いが城の中央広場を埋め尽くしていた。




「ローラン陛下、ご決断を」
長年城に仕えてきた大臣が、静かな声で告げた。
王と同じだけの年数を重ね、様々な出来事を見てきたその双眸は苦しげな色に染められていた。
「陛下が50を迎えられた時点で、行使せざるをえない掟でございます。準備はとうに出来ております。あとは陛下のご決断のみなのです」
どうか、と懇願するように大臣は必死の思いで王を見つめた。
もうずっと前から大臣は王に頼み続けていたのである。
今日こそは、肯定の言葉を聞きたい。
その思いだけが大臣の心を支配していた。
「ごめんなさい、わたしが・・・」
静まり返った広い室内に、震えた声が響いた。
「ミリア、君が気に病む必要はない。もう謝罪の言葉は聞かないと言ったよね」
「しかしそれでは何の解決にもならないことを、陛下はご存知でしょう?もはや我々には異界より人を呼ぶしか道が残されておりません」
この国を治める者が50の年月を生きたとき、跡継ぎがいなければ異界より人を呼ぶ。
このことは、5代目の王・クリストファーの時代から受け継がれているこの国の掟であった。


内乱を防ぐためと、この掟が行使されるのはシルヴァン国の歴史上今回で2回目。
最初に人を呼んだのはまさにクリストファー王の時であった。
跡継ぎを残さずにこの世を去った王の跡をいったい誰が継ぐのか。
神殿で最も権力を持つ神官長か、政治力に長けた大臣か、それとも国で1番の武将か。
シルヴァン国はこの3つの勢力に分断された。後にクリストファー内乱と呼ばれるこの内乱は、およそ10年もの長い間ずっと争い続けた。

疲弊し、争う力すら失った彼らの元に、ある日異国より魔術師が助言と称しある言葉をささやいた。
「この国の事情を知らない異界の者を呼べば、どの権力にも属することなく平等にこの国を治められるだろう」
疲れきった彼らにとって、その言葉はまさに救いであった。
そうだ、私たちの誰ともつながりのない人間ならば、平等にこの国を治められる。
当時発達したばかりの物体呼び出しの魔術を応用して、ここではないところ、即ち異界から人を呼んだ。
現れたのは若い男であった。聡明そうな男は最初こそ理不尽であるとこの世界の何もかもを拒絶したが、もはや帰ることが叶わないと分かるや何もかもをあきらめたように王としての勤めを果たした。
政を行い、式典に参加し、王妃を迎えて跡継ぎを残した。
どうにか国が安定し始めたころ、王に知られることなくある掟が定められることとなった。
『もし、この国を治めるものが50を迎えても、まだ跡継ぎを残していなければ、異界より人を呼びその者に国を治めさせること』
定められてから昨日まで、幸いながらこの掟が行使されることがなかった。


しかし、まさに今日この日にシルヴァン国は異界より人を呼ぼうとしていた。
とうとう跡継ぎが生まれなかったのである。
城は何年も前から覚悟を決めて、準備を進めてきた。
やってくる者のために部屋をこしらえ、術を成功させるために魔術師を国中から呼び寄せた。
だが王は決断を先延ばしにしていた。
彼はほかに何か解決策はないだろうかと、必死になっていたのだ。
無関係なものを巻き込むなどできるはずがない、この国の問題はこの国で解決すべきだとの考えがあったのだろう。
けれども、何もかもが遅かったのだな、そう王は心の中でつぶやいた。
「・・・ルーエンス、準備を進めなさい」
王の決断に、大臣は安心したように深くため息をついた。
「仰せのままに、陛下」
あわただしく伝令を飛ばし、彼は退出した。人を呼ぶと決まったのならば、やることが山ほどあるのだ。
執務室の中でシャンと背筋を伸ばして、ローランは妻であるミリアを見つめた。
哀しげに目を伏せている彼女の背にそっと手を当ててローランは言い聞かせるように言った。
「もう決めたことだ。だからこそ、来るであろう者を私たちの子供のように受け入れよう」
せめて、この国で不自由することのないようにしなければ。
それが彼らに出来る精一杯のことである。
城の中央広場から安堵のため息が聞こえた。
国民に知らせが伝えられたのだろう。
こんなにも国民を不安にさせたのか、そう考えるだけでも後悔で暗い顔になりそうになる。
「わたしは大丈夫よ。ちゃんと笑えるわ」
ミリアはいつも自分が普段笑っている顔を思い出すように口の端を上げた。
だから、あなたもいつもみたいに笑って。そう言ってからミリアはローランの頬をぐにっとつかんで無理やりに頬を押し上げた。
「無理だけはしすぎないで、辛いときはちゃんと辛いって言いなさい」
ローランはミリアをそのままぎゅっと抱きしめて、必死に微笑もうと上げている頬に唇を落とした。
ぎゅっと一度だけ力を強めると、ゆっくりと身体を離して互いに見詰め合う。 「さあ、もう行こうか。私たちがいつまでも姿を見せないと国民が心配をするかもしれない」
重厚な扉を開いて、二人は廊下に出た。
扉の両脇に控えていた兵士が、付き従うように後を追う。
術式が組まれた部屋に入るとそこはすでに完璧に準備が整えられていた。
入室した王と王妃に向かって、室内にいた者全員が目礼をした。

広い室内を横切り、広場に面したバルコニーへと向かう。
窓を開けると広場を埋め尽くす国民全員が、手を振り、声を嗄らす勢いで喜びの声を上げた。
跡継ぎができなかった点を除いて、ローランもミリアも国民からひどく愛されていたのだ。
歓声を全身で受け止める背後で、とうとう儀式が始まった。
どのような者がくるのだろうか。
この世界や、私たちを受け止めてくれるのだろうか。


どうか、そうであってくれますように。
眼下の人々に手を振り、祈るように彼らは互いの手を繋いだ。














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