Prologue-2-


いつもと同じように、夕日がコンクリートで覆われた道を染めていた。
「それじゃあ、また明日。」
ふわっと長い髪を揺らして沙良ちゃんが言った。
女の子の可愛らしい要素をあらゆるところから集めきったような彼女に、ほんわりと微笑まれると同性であってもドキッとする。
「うん、またねー。」
思わず嬉しくなってわたしはぶんぶんと手を振った。
仕方ないなあ、となにやら苦笑をして沙良ちゃんが背を向ける。
変わらない日常が、今日も過ぎていく。

道に点在するマンホールを眺めては、あれは地下宮殿への入り口なんだと妄想することも、目の前を横切る猫がしゃべりださないかなと期待の思いを込めて見つめることも、何もかもがいつもと同じ。


お母さんが作ってくれた今日のコロッケが、いつもよりもおいしかったとか、そんなことはなくて。(いや、いつだっておいしいのだけど特別な感じとかはなかったのだ。)
毎週のように見ているドラマも、視聴者を来週も引き込むような適度な面白さであった。
わたしにとって何気ない日常は、今日も平穏無事に過ぎ去る。

お風呂にゆったりと浸かって湯気の出ているまま、ふかふかのお布団に入った。
昼間と変わって一気に冷えた夜であった。
思わずふるりと震えた肩を覆うように、布団をぐっと上げる。
まったく、なんなのだこの寒さは。もうすぐ春なのではないのか。
桜の開花宣言がされたと今朝のニュースで言っていたのに、あれは嘘だというのか。
まったくもう、と矛先の分からない怒りをぐるぐると考えて、わたしはきゅっと目を閉じて眠る体制に入った。

さて、今日は何の物語にしようか。
昨日は龍に乗って世界を飛び回った。
運がよかったのだろうか。
その日の夢は愛らしい瞳の龍がわたしのことを快く背に乗せて世界を旅するものであった。
うふふ、妄想万歳。わたしに夢をありがとう。
さてさて、今日はどんな物語にしよう。
最近はファンタジーにはまっているから、そうしようか。
ここではないどこかに行くものがいいかなあ。
とりあえず、メイドさんは出したいなあ。
可愛くて、にこって笑いかけられたらきゅんってしてニヤニヤしちゃうような、そんな子がいいなあ。
とりとめのないことを考えながら、意識がとろりと空気に溶けるような感覚にゆっくりと見をまかせた。






ごろりと寝返りを打って、わたしは違和感を感じた。
なにやら妙に硬いのだ。硬い何かに薄めの布を敷いたような、そんな硬さである。
まさか、またベッドから転がり落ちたのだろうか。
いやいや。考えてすぐにわたしはそれを否定した。この間あんまりベッドから落ちるからすぐ下にクッションを敷き詰めたのだった。
これならば落っこちてもあざを作ることはない、と我ながらそのアイディアに感心したものである。
仮にベッドから落ちたとしても、わたしの身体はクッションの柔らかい感触に包まれているはず。 それならば、ここはどこなのだろうか。
そこでやっと目を開けて、わたしはとんでもなくビックリした。

「目を覚まされたぞ。」
目の前の男が誰かに言った。
なんでわたしの部屋に男が!と思ってすぐに、部屋のあらゆるところに違和感を感じた。
いや、むしろここはまるごとわたしの部屋ではない。
床も壁も天井も全部石で出来ていて、壁にはかがり火が炊かれていた。
石で出来ているからといって無機質な感じはなく、壁に掛けられたタペストリーや、床に敷かれた絨毯がなんともいえない素朴な温かさを出していた。
部屋のずっと向こうには人が余裕で通れるくらいに大きな窓があって、その向こうに真っ白なバルコニーが続いているように見えた。
さっきから硬いと思ってはいたが、本当に石の上で寝ていたのである。
ああ、これは確かに硬いはずだとどこかずれた感想を抱いて顔を上げると、わたしはさらにびっくりした。 なんと、どこのコスプレ会場かと思うような格好をした男女がわたしを囲んでいたのだ。
ある人は騎士の様な格好、またある人はメイドのような格好で忙しそうに部屋を歩いていた。
どれもこれもがなんともファンタジーチックで、あれわたしまだ寝ているのかとぐにっと頬をつまんだ。
「いたい・・・」
鈍い痛みが、わたしの頭を冷静にさせる。
「あの・・・」
おずおずとなんとも可愛らしいメイドさんがわたしに声を掛けてきた。
真っ黒なワンピースに、申し訳程度にフリルの着いた白いエプロンを着けた彼女はそっとストールを差し出す。
どうしてなんだろうと首を傾げて見せると、失礼いたしますと言いながら彼女がストールを掛けてくれた。
め、メイドさんにストールを掛けてもらった!
ぎゃーと内心大騒ぎしていると、参りましょうと手を取られてわたしは立ち上がった。
そっとメイドさんに握られた手元を見てわたしは、とたんに恥ずかしい思いでいっぱいになった。
もちろん、可愛らしいメイドさんと手を繋いだ事実も十分にわたしをきゅんとときめかせるような状況ではあるのだが、それよりも自分の格好を確認して恥ずかしくなった。
「ぱ、パジャマ・・・!」
そう、わたしはパジャマを着ていたのである。
まわりがきっちりと着込んでいるのにわたしだけパジャマ(お気に入りの猫ちゃん柄だっただけマシかと一瞬思ったが、パジャマである事実は変わらない)。
ど、どうしよう、めちゃくちゃ着替えたい。
メイドさんに掛けてもらったストールでなんとか隠そうともぞもぞやっていると、手を引いてくれていたメイドさんが心配そうにやはりお寒いのですか?と聞いてくれた。
寒いとかそういう問題ではなくて、恥ずかしいのだ。という気持ちを込めてメイドさんを見上げる。
「リン、早くお連れしろ」
そんな空気を読まずに、かっちりとした服に身を包んだやけに背の高い男が、眉根を寄せながら言った。
む、かわいいメイドさんにそんな言い方はないだろう。
目の前の男に負けず劣らずわたしも眉を寄せる。
「申し訳ありません」
幾分かしょんぼりしたメイドさん(リンさんという名前なのだろうか)が、わたしにも申し訳なさそうに目を向けた。
わたしがのんびりと歩いているから彼女が怒られているのだということが分かったわたしは、そっと歩みを速めた。
わたしのせいで彼女が怒られるだなんて申し訳ない。そう思ったわたしの意図に気づいたメイドさんが、申し訳ないという気持ちと感謝の気持ちのこもった目を向けた。

バルコニーへ向かっているのだろうか。
そっと手を引かれて一歩一歩窓へと近づいていた。
窓に近づいていくにつれてだんだんとわたしが理解したことは、ここが日本のどこでもないということだった。
わたしはこんなにも澄んだ色をした空を今まで見たことがない。
それに何かお祭りでもあるのだろうかと思うほどの人の熱気とざわめきが、その大きな窓を通して感じられた。
窓のすぐ側で控えていた別のメイドさんとここまでつれて来てくれたメイドさんが、静かな動作でその窓を開けるとざわめきはよりいっそう大きくなり、期待と喜びで溢れていた。
ど、どうすればいいのだろう。きょときょとと周りを見ると、どうぞそのままお進みくださいませ、とつれてきてくれたメイドさんが言った。
ぺたぺたと一人裸足でバルコニーへと出ると、いつの間にいたのだろうか、柔らかな雰囲気のおじ様が目元を和らげて私を見ていた。
おじさんではない。おじ様なのだ。素敵に年を重ねた人は、どうしてこんなに素敵なのだろうかとときめきながら見ていると
「ミリア、私たちの姫を国民にきちんと紹介しよう」
そう言ってすぐ側にいたおば様に目を向ける。
ミリアと呼ばれた人が、こっちよといいながら私の手をとった。
何がなにやら分からないまま、バルコニーの端っこまで歩いていくとどっと大地が揺れるような歓声が響いた。
姫様、姫様、と数え切れないくらいにたくさんの人が叫んでいた。
もみくちゃになりながらも身体をいっぱいに使って手を振る人たちを前にして、わたしは何がなんだか分からなかった。
「さあ、手を振って」
そっとミリアという人が私の手をとって左右に揺らした。
たったそれだけなのに、眼下の人々の歓声はより大きさを上げていった。
覚えのない歓声を一心に受けてわたしはふと、ふらふらとゆれる自分の腕を見て、そういえばと真っ青になった。


「わ、わたしパジャマなんですけどー!」
この発言のせいで、わたしが「パジャマ」という名前であるという噂がまことしやかに流れたのは言うまでもないだろう。




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